2016年8月19日金曜日

レビュー企画 第4回 演劇祭で活躍すると女が抱ける ―――寄稿、丸山交通公園

(はじめに)
 月面クロワッサン作道雄氏に続く、寄稿。今回は丸山交通公園氏にいただいた。第1回の演劇祭参加者の思い入れは皆かなり強烈な印象を受けます。彼の口からは、京都の演劇における確かな「リアル」の一端が語られています。(京都学生演劇祭2016企画スタッフ・劇団なかゆび主宰/神田真直)

演劇祭で活躍すると女が抱ける。
私は声を大にしてこう叫びたい。
第一回京都学生演劇祭。私は京都産業大学演劇部・劇団actを率いる形で参加した。
当時、私たち劇団actは完全に腐っていた。
京都市北区の辺鄙な土地にある三流大学の演劇部の芝居など誰も見にこない。
それでも我々劇団actの劇団員は立命館大学に出向いては月光斜や西一風を観劇し。同志社大学に出かけていって演劇集団Qや第三劇場、京大を訪れて劇団ケッペキ。時には伏見深草龍谷大学、劇団未踏座にまで出かけていって観劇するものの、それらの劇団の人々は全く我が劇団actを観に来ることは無く。歯牙にもかけない、認識されない、完全なる黙殺。
見に来る客といえば父、母、祖父、祖母。
はっきり言って我々はいじけてくさってあきらめていた。
自分たちの面白いと思うことをやってはいるものの、こんなふうな環境ではどうしようもない。と。
ある時などはお客様4名の前で、亀甲縛りで「僕をこの会社で雇ってください」と叫んだ男がベルトでシバかれてのたうち回るなどという本当に愚にもつかないコントを広いホールで上演し、こだまする叫び声、押し黙る客席、えげつない空気。
でっけえトラウマを出演者、そして4人の観客に強いたこともあった。
いや。このようなことがしばしば起こっていた。
なにやら鬱屈とした気持ちが劇団actを覆っていた。
そんな時に降って沸いた学生演劇祭ばなし。
私は即座に思った「乗らいでか」
団体内での政治を行い、出場反対派をねじふせ、心やすい仲間を独自に選抜。
それまで重ねてきたコント公演の中から世に問いたい作品を選抜。万全の体勢を作り上げ、勇躍、春来たらんとするART COMPLEX 1928に我々劇団actは乗り込んだ。
私は緊張していた
良いキャスト、そして脚本。自分のおもしろいが詰まったコント集になっている。なっているからこその恐ろしさ。
こういった自分の面白とのシンクロ二シティをしっかりと保持する演目が、お客様に否定される、滑るということは、自分の面白が世界に通用しない。その面白は京都市の極北、京都産業大学の山猿の独りよがりということになってしまう。
この演劇祭という晴れの場で必ず武勲を挙げるのだ、というはやる気持ち、そして、自分の面白が真っ向から否定されるかもしれぬ恐れ、この二つがない交ぜとなり、非常に強い緊張を持ったまま本番を迎える。
果たして本番、一本目「三者面談」というコント。まずまず受ける。
2本目「愛の劇場」というコント。
このコントはただただスケベなマンガをさだまさしの名曲にのせて朗読するだけのコント。
正直言って、滑る可能性のあるコントだ。下ネタだ。下ネタを大声で叫び回るネタだ。しかしそれだけにはまったら強いコント、どう出るか。私は正直不安だった。
結果、大爆笑と言っていいであろう笑いが客席から巻き起こったのである。
そして。コントのオチがばちっと決まって暗転し、3本目のコントへの転換中に客席からは拍手拍手拍手。
私は転換音楽の「ラブストーリーは突然に」が流れる中、静かに涙を流す。
ああ、私たちのやってきたことは、私たちが4人のお客様の前でやってきたことは間違いでは無かった、私たちは面白いことをやっていたんだ、私たちは面白い人間なんだ。そんな感情が脳内に渦巻いて涙を禁じ得なかった。
他のコントも上々に面白がっていただき、僕は劇団紫の合田団地氏とともに個人賞をいただくことになったのである。
演劇祭の打ち上げ会場、私に様々な人が話しかけてくれた。降り注ぐのは賞賛の言葉。
「すごかった」
「やばかった」
「面白かった」
そして祭りの空気と安酒に酔っぱらったサブカル演劇女にしなだれかかられ「本当に面白かったです、好きです」なんてことを言われる。
面白で、演劇で女に好きなんて言われると私は思っていなかった私はもう演劇に、面白に夢中になって、今に至るまで演劇を続けているのである。
実際、私は京都学生演劇祭がなければ演劇をやめていただろう。
演劇をやめていたらどうなっていたか。
当然女を抱けたりはしない。就職が上手くいかず、親戚のコネでなんとか正社員になり、ろくでもない行き遅れた浮気などを許さぬ鬼婆と結婚をし、インポテンツになり、死んで行くことになったに違いない。
しかしながら、私は演劇祭のおかげで演劇をやめなかった。そして、細かいところは割愛するものの、演劇をしていなければ抱けないような女と色々なことができたりしている。そこまでたくさんしていないけど、まあ、している。他の人と同じくらいは、いや、他の人はもっとしている。でも、僕もできている。
さあ、クソみたいな演劇生活を送っている君よ、ひいてはクソみたいな演劇生活を送らざるを得ない状況に追い込まれているクソみたいな人生を送らざるを得なかった君よ。
君の面白さ、凄さ、楽しさ、そういったものを世に問うチャンスがついに来た。
このチャンス、生かさない手は無いでしょう。生かして、演劇生活を、ひいては人生を大転換させてくれ、君よ、分不相応な女が抱けるんぞ!君よ、演劇祭で女を抱け!

というような一面もこの演劇祭には確実にあります。
様々なきっかけになったり、経験になるイベントです。
自分の人生にモロに影響を与えることだって可能な、そういう刺激的なイベントです。
そんなイベントに出会うことはあまり無いです。ここ3年ほど、外部の人間として全ての演目を観劇していますが、毎年その気持ちは強くなってきています。
京都にこういうイベントがあるということ、これを奇貨と置かずして何としましょう。
参加する方々にはそういうイベントに一体どういう心持ちで挑むのか。それを真剣に考えてみて欲しいです。楽しむのもいいでしょう。何かのきっかけにするのもいいでしょう。自分の才能に見切りをつける場にだってなると思います。一夏を仲間と一緒にだらだらすごすんだっていい。
選んでみてください。人生を通り過ぎていく京都学生演劇祭というイベントをどういうふうに過ごすのか。
どういう風に過ごすのかを真剣に考えてみてもいいようなイベントだと思います。
そしてその考えに誠実に演劇祭を過ごしてみてください。
そうするとドラマが生まれます。
舞台上で起こるドラマと(ポストドラマやったりもするんで演劇はややこしいですが)舞台の奥で、劇団で、友人同士で、個人で、起こっているドラマと。この二つのドラマがかけ算になると、ものすごく強度のある娯楽にこの京都学生演劇祭というイベント自体が昇華されると私は考えるのです。
日本国民が高校野球のプレーにドラマを感じざるを得ないように、学生の演劇は、それぞれの人間のドラマを背負った演劇は、人々を熱狂させずにおかない魅力がある。
この魅力は演劇をやっている人間だけではない、新聞配達のおじさんも、主婦も、中学生も熱狂させることができると私は思います。
京都学生演劇祭、そして全国学生演劇祭が、そういったイベントになって行って欲しい、そうなる器は兼ね備えていると私は確信しているのです。
ムーヴメントは、すぐそこまで来ているように思います。
起こしましょう。ムーヴメント。

〈京都学生演劇祭2016 公演情報〉

8/31(水)~9/5(月)
@京都大学吉田寮食堂
1ブロックのチケット料金(前売)
学生:1200円 一般:1700円

ご予約はこちらへどうぞ↓
https://ticket.corich.jp/apply/75391/

詳しい情報はHPへどうぞ↓
http://kst-fes.jp/




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